目標は特にないです
「目標はなんですか?」と聞かれることが多いが、実は僕は目標を定めていません。やりたいことリストはあるけど。
なぜ目標を定めないかというと”目標とは今の自分の延長線上でしかない”から。今の自分が想像できる範囲でしかないから。
僕は、今の自分が想像できないような自分になっていたいと思います。
今の自分は1年前には想像できなかったし、1年前の自分はそのまた1年前の自分には想像ができません。2年前はアートだとか言ってないし、今ではSDGsの講演で全国で講演をしているが、SDGsと言い始めたのは1年前くらい。5年前は街づくりなんて考えてないし、10年前はお金持ちになりたいと思っていただけ。
今も、来年の自分がどんな風になっていくのかということが楽しみでしょうがない。
目標は無いけれど、自分がどんな状態でいたいかというと”常に自分の可能性に挑戦していたいし、その状態を楽しんでいたい”過去を語るおじさんにはなりたくない。
「僕は昔たくさんの不動産を持っていてね」「僕はメロンパンアイスを全国に展開したんだ」とか過去を語っていたら、若い人が話を聞いてくれるかもしれないけど、心の中ではつまらないなと思っているだろう。どんなにすごいことをした人でも過去を語っていたら、もうピークは過ぎたんだろうなと思う。
話をしていて面白いと思う人は、「次はこんなことをしようとしている」と未来を語っている人。そんな話には加わりたい。
僕が新卒で東京の証券会社に入社した時、師匠と呼べる人がいました。新宿支店の伝説の営業マン、名前は猪熊虎象(いのくまとらぞうさん)としておきましょう。歩合制の外務員と言われる働き方で、僕が出会った時は60歳を超えていました。バブルの頃は一ヶ月の給料が5000万円もあったとい伝説があります。もう昔の力はなかったし、周りはいつ引退するんだろうと思っていたでしょう。でも、猪熊さんは「これからは英語の時代だぞ」と英語の家庭教師を会社に呼んでいたし、「オイルマネーの視察をしたい」と会社の中東視察に立候補していました。僕は猪熊さんと話をするのが楽しかったし、こんな風に生きたいなと思いました。
今は僕のことを師匠だと思ってくれる人が何人かいます。
彼らには、僕を見るなと言っています。
「僕の見ている先を見て欲しい」と。
弟子は師匠を超えていく存在でなければいけないと考えています。
僕は絶頂で死ぬ計画があります。僕が過去を語り出して衰えてしまったら、僕の弟子たちは僕の見ている先を誤解してしまうから。それならば、衰えて長生きするよりも、絶頂で死ぬ方が弟子たちの見る社会の到達点が高くなるはずだと考えます。
でも、早く死にたくないので絶頂が来ないように角度を上げ続けていきたいと思います。
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